彼女の愛車への想い。ご紹介させてください。
私は一年前までは東京で車とは無縁の生活をしていました。
都心部は基本的に道が混みますし、電車もバスも数分待てば来るので車が必要のない生活でした。
ですが、ひょんなことから香川に引っ越すはこびとなり、そこで人生を車に捧げる人たちとの出逢いがありました。
車に対して真剣に向き合う方たちとお話をする中で、知識のない私が話に入っていくのは失礼だな、難しいな・・・と感じると同時に、車と接する喜びを私自身も知りたいと思うようになりました。
そして様々な方面から整備や車にたずさわる方たちの熱い思いに触れていくうちに、私自身も「整備士になりたい」「この業界で頑張りたい」と強く惹かれていきました。
整備士になるための勉強をしていて、とりわけエンジンの歴史や構造に強い関心を抱くようになりました。
そして、その学びの中で初めて「空冷エンジン」の存在を知りました。
現在は「空冷エンジン」を理解している人、そもそもの存在を知っている人は非常に少なくなっていると知って、ますます本腰をいれて勉強したいなと思いました。
今までは車の系譜など調べたこともなかったのですが、パブリカがスターレットの前身であるとともに、TOYOTAの歴史の中でも大切な立ち位置であることを知って
「この車にたずさわりたい」と強く願うようになりました。
そんなときに運命的に現在の愛車であるパブリカバンに出逢いました。
見つけた瞬間に連絡をし、すぐに現車確認に行き、その場で少しの迷いもなく即決をして、我が家にお迎えをいたしました。
いつもは優柔不断な私が、こんなに即決即断をしたのは初めての出来事です。
最初は右も左もわからず、触ったことのない構造の車を前に悪戦苦闘する日々でした。
整備の教科書で身につけた知識は基本的には水冷エンジンのもので、今まで学んだことはまったく通用しませんでした。
また、部品がでないことも勿論、もともとの整備不良などもあり、信じられないことが次々と起こりました。
現在の車では有り得ないことが起きたり、無知から貴重な部品を壊してしまったこともありました。
だけど、やめたいとか嫌だとか思ったことは一度もありません。
うまくいかなくても何度でも何度でもチャレンジしていけばいい、
そうすれば必ず自分が成長できると信じています。
初めてエンジン・ミッションのオーバーホールが成功したときの体験は、
整備士になったあとでも一生、私のことを支えてくれる経験になりました。
また、私の愛車は不思議なことが起こります。
割り込みをされて大事故に繋がりそうになったとき、窓から投げ出されそうになった私を守るように、フロントロックした状態でも横転せずに耐えてくれました。
ミッションのピンが何日も前から行方不明になって、その小ささから探すのは絶望的な状況でしたが、探すというよりも私の目の前に突然、出てきました。
高速道路で二気筒の片肺がダメになったときは、インテークが溶けて圧縮がゼロ、どう考えても動ける状態ではなかったのにICの先のビジネスホテルの駐車場まで私を連れて行ってくれました。
物にも気持ちが宿るといいますが、この車は私の気持ちに応えてくれていると思います。
私も修理書や整備書ばかりをあてにせず、どこが具合が悪いのか、なにを交換すべきなのか・・・車の音を聴きながら、いつも会話をする気持ちで向き合っています。
最近は不思議と、今なにをすべきなのかがわかるようになってきました。
パブリカやヨタハチ所有の先輩方にアドバイスをもらいながら一生懸命に頑張って維持しています。
今年で51年目、そして私はまだ28才・・・あと50年、一世紀先の未来まで
パブリカを残していくのが私の次の夢です。
この車と、この想いは、残すべき価値のあるものです。
私はパブリカで、いろいろなカスタムにチャレンジしています。
勿論、ノーマル派の方からは嫌な顔もされます。
それでも私は100人いれば100人の楽しみ方、向き合い方があるということを伝えていきたいです。
それは新しい車でも古い車でも関係ない、車を好きという気持ちは世界共通であり平等です。
この車には私の生き方や好きなこと、想いが詰まっています。
旧車だからといってノーマルで維持することがすべてではない、
自分の好きな車に自分の好きなように乗る。
そういった私の「信念の結晶」が、この「パブリカ」です。
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